2012年12月30日

おばあちゃんの台所と赤い薔薇

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今日も台所暮らしのおとめです〜♪

今年もあれれ〜って間にとうとう暮れて 

寒いことだし 

色々とご心配をおかけしたお詫びも含めて

何かあったかいお話でもしましょ〜か。。。

相変わらず長ったらしいので

御用とお急ぎでない方のために(笑)

写真は私の台所です♪ニ畳も無い小さなスペース

掃除が行き届いてないですね〜。ヤカン磨かないと(^^;)

調理器具とお鍋は釣り下がっているものでほぼすべてです。

あとはすり鉢とミキサー、小ぶりの冷蔵庫くらいかな〜

オーブンは最初から作り付けなので

ありがたく使わせてもらっております。

実は。。。オーブンはあるけど

電子レンジや電気釜はもっていません。

いえ、別にこだわっているんじゃなく

買う必要を感じなかったので未だに。。。

冷ごはんは蒸せば炊きたてのようになるし

独身時代からご飯はお鍋で炊いていました。

厚手のお鍋で炊くと 炊き上がりはお米が立っていて

好みのふっくらでしかもサラっとしたご飯になるんです。

本当は祖母がやっていたお釜で炊きたいのですが。。。

ホットプレートも中華蒸し器もすき焼き鍋も天ぷら鍋も

あったらいいな〜と思うのですが ものぐさなので

あるもので代用しています。それに色々道具を置いて

ただでさえ狭い台所のスペースが無くなるのがイヤです。

やっぱり私の中では

おばあちゃんの影響が大きく

祖母のな〜んにも無かった台所が理想なのでしょう。

この祖母というのは母方の祖母で

下町で一人暮らしをしていました。

もう一人の父方の祖母は裕福で 遊びに行けば

おこづかいもたっぷりくれたでしょうが。。。

(今思うともっと行っておこづかいもらえばよかった。。。汗)

。。。何故か私は母方の祖母が好きで入り浸っていました。
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祖母のアルバムから出てきた幼い私。。。

一番気に入っている写真です。

お人形を抱っこして 下駄をはいてますね。今と同じ(笑)

私もかれこれあの頃の祖母に近い年になり

こんなことを懐かしく思い出します。。。


昭和30年代のある日  小学生だった私は 

祖母の家で内職の手伝いをしていました。

ブリキでできた小さな自動車。。。その底にある

金具の爪をペンチで曲げて固定するお仕事です。

今では骨董屋さんなんかに行くと目玉が飛び出そうなお値段の

あの昭和レトロなブリキのおもちゃ。。。

とっとけば今頃ひと財産。。。てな野暮な話はともかく(笑)

それを手伝うのが面白くてはまっていました。

やればやるほどそれだけ祖母がラクになるし なんだか

いっぱし大人になったような気分でいたものです。

たくさん出来上がると 祖母はそれを大風呂敷に包んで

週に一度か二度 工場へ届けるのでした。

電車で一駅分ありそうな距離を 荷物を背中にしょって

歩いて届けていました。

祖母は祖父亡き後 なけなしの貯金をはたいて

小さな小さな一軒家を買いました。

昭和の暮らし博物館をミニサイズにしたような家。

ガラガラ戸の玄関を入るとすぐ板の間があって

そこには古い足踏みミシンが置かれていました。

あとは3畳間と8畳(6畳だったかな?)があり

押入れが一間と申し訳程度の濡れ縁がついています。

仏壇の上にはおじいちゃんとお姑さん つまり

丸髷を結った私のひいお婆ちゃん(美人)の写真。

毎朝欠かさずお水とお線香 ご飯をあげます。

高いところには柱時計があって 時々祖母は

「よっこらしょ」っと踏み台に乗ってネジを巻いていましたっけ。

仏様のあとはうるさく鳴いている猫のコウヘイに

朝ごはんをやります。(人間より先?)

家具といえば箪笥が二さおに鏡台、食器棚くらい。

押入れには布団や行李。

まるで落語に出てくる江戸長屋みたいです。

何年かしてテレビも加わりましたが 他には

何も無いので狭さも感じませんでした。

この頃は断捨離だとかシンプルライフだとか流行っていて

なんでもかんでも捨てちゃうそうで。。。

あ〜もったいない!

あの頃の暮らしにはそもそも捨てるものなんか無かったんです。

始めから買えませんから(笑)

典型的な下町気質の祖母は このちっぽけな家を

どこもかしこもピカピカに磨いていました。

そして一番奥が台所(だいどこ)

壁には長箒とはたきが下がり 

どこぞの店からいただいた大きなカレンダーが。

床は板が取り外せるようになっていて床下には

ひとかかえもありそうなぬか漬けの樽がありました。

祖母はこのぬか漬けを宝物のように大切にしていました。

毎日腕を深くつっこんで祖母がかきまぜると

なんともいえない香ばしい匂いがしたものです。

流しは石でできていて そこで洗濯もしていました。

使い込んだ洗濯板と大きな石鹸を覚えています。

木の蓋のお釜と流しの上の棚にある鍋やすり鉢

それだけがすべての調理道具でした。

冷蔵庫なんてありません。かわりに網戸の蝿帳です。

残り物や腐りにくい佃煮などはここに入れておきます。

都市ガスはひかれていたので鋳物のガスコンロが一つ。

マッチで火をつけるのが怖かった私は

祖母に教えられてこのコンロに火をつけられるようになり

料理の手伝いをするのも大好きでした。

その間祖母はかつぶしを削っています。

枯れ節でだしをとった味噌汁の美味しさが忘れられず

私も今同じようにかつぶしを削る毎日です。
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↑これ30年使っている削り器です。となりはレトロなお米入れ。

時には私は朝寝坊して、祖母がかつぶしを削る音で

目が覚めました。 すると祖母は「はいおメザ!」と言って

金平糖やらボーロのようなものを口に入れてくれました。

それから布団をたたんで、箒やハタキで簡単に掃除をします。

しばらくして、ぷ〜んと味噌汁の匂いがただようと

丸いちゃぶ台を出して お釜で炊いたご飯を

おひつに移して さあ朝ご飯。

おかずはメザシだったり納豆だったり鮭だったりしましたが

いつも必ずあったのが

例のぬか床から出したてのぬか漬け(おこうこ)!

それに海苔や梅干 大根おろしや青菜のおひたし。

考えると 今私が好きな食べ物は

あの頃おばあちゃんと一緒に食べたものばかり。
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↑同じように私の宝物も糠づけ。これも欠かさず食べています。

そして毎日夜中の12時頃になると 祖母は

縫い物をしながらなかばうつらうつらして

よく浪曲(なにわぶし)を聴いていましたっけ。

おばあちゃんがかけていたアメ色の丸メガネや

サザエサンのフネさんそっくりのヘアスタイル

大事に大事に使って年季の入ったお針箱を

私は一生忘れないでしょう。

「ちょくせつラーメン」「ぷらっちっく」「えべれーたー」

などのおばあちゃん語も(笑)

時には里見浩太郎を大川橋蔵と言い張ってたっけ。。。

そばで私は漫画を読んだり 祖母がくれたハギレで

パッチワークの真似事みたいな事をして遊んでました。

裁縫は学校で習う以前にこの祖母から習いました。

祖母は幼い頃家が貧しく 早くからお屋敷奉公に出され

あまり娘らしいお洒落ができなかったようです。

そのせいか赤いものが大好きで、赤い綺麗な包装紙や

ハギレなどはそれは大切にしていました。

そして。。。

おばあちゃんにはもう一つの宝物がありました。

それは。。。日当たりの悪い庭にただ一本だけあった

薔薇の木でした。

「コウシンバラ」という小輪の野薔薇ですが

それはごく最近になってわかったこと。

薔薇といえば交配種の大輪薔薇しか知らなかった私は

「コレは薔薇だよ」

とおばあちゃんが自慢げに言った時

「え?ウッソ〜」とか思いました。

ひょろりと頼りなさげに80cmほどの高さに育っていて

繊細な葉が茂っているだけで 蕾も何もついていません。

小鳥が種を運んできて自然に生えたのか

おばあちゃんが挿し木をしたのか思い出せませんが。。。

薔薇なら牧美也子の少女漫画に出てくるような

たっぷり花のついたツルバラでも植えれば良いのに

と私はいささか不満でした。

でもあんな薔薇は立派な門構えのお宅にしか無いことは

私にも幼心にわかっていましたので

猫のひたいどころか 鼠のおでこのような庭では

とってもムリだろうし

一人 内職暮らしでがんばっている祖母が

ちょっぴり可哀想な気もしました。

毎日買い物にでかける度におばあちゃんは

いたわるように薔薇に話しかけ 

幸せそうに目を細めていました。

せっせと米のとぎ汁やら玉子の殻やらをあげて

葉っぱだけの薔薇の木を可愛がっていました。

その様子があんまり楽しそうで

本当に嬉しそうだったので、私も早く咲かないかな〜

と待ち望むようになっていました。

けれども気難しい薔薇はなかなか咲いてはくれません。

「薔薇。。。まだ咲かないねぇ〜」

「そうだね。。。そのうち。。。」と祖母。

私が行かない時はいつも一人ぼっちの祖母の

ささやかな生き甲斐は 猫と この小さな植物だけ。。。

そのくらいは察しがついたので

私もあまり尋ねるのも気がひけて

やがて薔薇のことはすっかり忘れてしまいました。

そして数ヵ月後か一年後か忘れましたが、

久しぶりに遊びに行ったある日

おばあちゃんを驚かそうと庭の方から回った私は

木戸をあけたとたん、思わず立ちすくみました。

あの頃はまだブロック塀などは無く

質素な板塀で囲まれた なにやらジメっとした庭先。。。

祖母がこまめに雑草を抜いて 

手入れが行き届いているけれど

ヤツデやツワブキ ユキノシタやリュウノヒゲみたいな

日陰向きの草花が多い 薄暗い庭のまん真ん中で それは

奇跡のように 誇らしげに咲いていました。

たった一輪の

赤ちゃんの手より小さい

真っ赤な 真っ赤な 薔薇でした。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

コウシンバラは中国原産の野薔薇で

日本へは江戸時代以前に渡来して盛んに栽培されました。

現在の多くの園芸用大輪薔薇の祖先でもあります。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

今日もお読みいただきありがとうございます。

相変わらずお粗末な想い出話でしたが

ほんのちょっぴりでも 心のすみっこが

あったまってもらえたら 私も幸せです〜♪

今年も皆様の暖かい応援のおかげで

なんとか無事に過ごす事ができました。

どうぞどちら様も 良いお年をお迎えくださいね。

来年はもっと作品作りをがんばりたいおとめです〜♪
posted by おとめ at 11:11| Comment(8) | 猫と石蹴りとリリアンと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする